カテゴリ:将棋倶楽部24最高R物語

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  • 番外編③ 最強のタイトルホルダー(syunaidar)

    番外編③ 最強のタイトルホルダー(syunaidar)

    対局日:2004年8月30日棋戦:特別対局室先手:syunaidar後手:gerard将棋盤初戻る進む終 0手将棋倶楽部24の最強者というと、東京道場で華麗な技を披露している高段トップの人達を思い浮かべるのは当然のことですが、レーティング戦とは別に大会が企画されており、そこでの優勝者であるタイトルホルダーなるものが存在します。知らない方も居るかもしれませんので説明しておきますと、将棋倶楽部24には事前に参加受付を行い開...

    2009/01/31

    将棋倶楽部24最高R物語

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    第五話 最強の影武者(sakitama)

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    2009/01/24

    将棋倶楽部24最高R物語

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    番外編② 知られざる最強棋士 (DORA THE KID)

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    2009/01/12

    将棋倶楽部24最高R物語

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    第四話 正統派居飛車党 (aoba81)

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    2009/01/08

    将棋倶楽部24最高R物語

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    2008/12/30

    将棋倶楽部24最高R物語

  • 番外編① 御機嫌なユーザー

    番外編① 御機嫌なユーザー

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    将棋倶楽部24最高R物語

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    2008/12/25

    将棋倶楽部24最高R物語

  • 第一話 神になったユーザー (dcsyhi)

    第一話 神になったユーザー (dcsyhi)

    対局日:2004年6月5日棋戦:レーティング対局室(早指し)先手:HAHAHAHAHA後手:dcsyhi将棋盤初戻る進む終 0手上の棋譜は、将棋倶楽部24で史上最強の誉れが高いdcsyhi八段の最後の対局より。2002年末、将棋倶楽部24に彗星の如く現れ、前人未到だった2900点をあっさりと超え、3000点という奇跡の強さを目指したユーザーが居ました。現在、将棋倶楽部24のトップページに最高R保持者としてネームエントリーされている、Aug 02さん、Jy...

    2008/12/23

    将棋倶楽部24最高R物語

番外編③ 最強のタイトルホルダー(syunaidar)

将棋倶楽部24最高R物語
対局日:2004年8月30日
棋戦:特別対局室
先手:syunaidar
後手:gerard

将棋盤

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将棋倶楽部24の最強者というと、東京道場で華麗な技を披露している高段トップの人達を思い浮かべるのは当然のことですが、レーティング戦とは別に大会が企画されており、そこでの優勝者であるタイトルホルダーなるものが存在します。

知らない方も居るかもしれませんので説明しておきますと、将棋倶楽部24には事前に参加受付を行い開幕後に成績を競い合う棋戦が存在します。最もランクの高いクラスでの優勝者がその棋戦のタイトルホルダーとなる仕組みです。これまで数々の棋戦が開催されてきましたが、現在も継続されているのは名人戦とリレー将棋だけです。

歴代タイトルホルダー

決められた日時に高段者の15分対局が見られる決勝戦はファンにはたまらない企画で、その時ばかりは会場の大阪道場にアクセスが集中します。

東京道場の一番のヒーローは歴代の最高R保持者(HAHAHAHAHA八段含む)のうちの誰かですが、大阪道場の一番のヒーロー、それはsyunaidar七段なのです。

syunaidar七段は、名人、竜王、達人、リ王の全てのメジャータイトルを獲得した実績があり、名人位に至っては24で唯一人の永世名人(通算5期以上)の称号を取得しています。東京道場でのR対局はほとんどやらないので最高得点は2805点(2012年4月13日現在は2844点)です。しかし棋戦での最強者は間違いなくsyunaidar七段であることは誰もが認めているところ。将棋倶楽部24の棋戦での最大の功労者と言っても過言ではありません。

第15期24名人戦ではY A B Aさんに負けてしまったのですが、syunaidar七段がこのままでおさまるような方とも思えないので、第16期24名人戦は盛り上がりが期待できそうです^^


上の棋譜は2004年8月30日に行われた第10回24達人戦の第三局です。
syunaidar名人・達人 対 gerard竜王の組み合わせは将に頂上決戦でした。
2時間に及ぶ大熱戦の末、syunaidar七段は達人位の防衛に成功したのですが、それ以降達人戦は開催されていません><

余談ですが「24」の初代竜王はh.kumeさん、つまり席主さんでした^^

※この記事は2009年1月31日に「将棋の棋書レビュー」に掲載した記事を加筆・修正したものです。

第五話 最強の影武者(sakitama)

将棋倶楽部24最高R物語
対局日:2006年12月21日
棋戦:レーティング対局室(早指し)
先手:terror
後手:sakitama

将棋盤

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将棋倶楽部24にはプロ棋士が普通にログインしていますので、その中で最強のユーザーともなれば誰もが羽生名人であってほしいとの夢と期待を膨らませます。

しかしそれは常に想像の域を超えることはなく、これまでたくさんの夢が夢物語のまま閉幕していきました。

「羽生名人かもしれない」と噂が立つ法則は次の二つの条件を同時に満たすことです。

①異常に強い。最高R保持者なら期待値激高。
②棋風はオールラウンドプレーヤーである。(居飛車が得意)

2006年の12月に最高R保持者となったsakitama八段も居飛車が得意なオールラウンドプレーヤーであり、羽生名人だと噂された一人です。

sakitama八段の場合は羽生名人説を促すもう一つの決定打がありました。

sakitama = サキタマ = 埼玉、そんでもって埼玉県出身の羽生名人だーーーっ!」という論法です^^;

しかし、デクシ伝説以前にsakitama八段は将棋倶楽部24の会員であり、デクシ伝説真っただ中の頃は強豪の一人ではあってもdcsyhi八段より200点くらい点数が下でした。直接対決も実現していますし二人が別人であることは確かで、sakitama八段の羽生名人説は消滅せざるを得ません。

上の棋譜は2006年12月21日にR3062点だったsakitama八段が24最高Rを賭けて戦った時の棋譜です。それまでの24最高Rはaoba81八段の3064点でしたが、この対局で勝利したsakitama八段はR3066点となり、24最高R保持者となりました。その後3084点まで記録を伸ばし、現在でも時々、将棋倶楽部24の東京道場で遊んでいるようです。


※この記事は以前、「将棋の棋書レビュー」に掲載した記事をリメイクしたものです。

番外編② 知られざる最強棋士 (DORA THE KID)

将棋倶楽部24最高R物語
対局日:2003年3月5日
棋戦:レーティング対局室(早指し)   
先手:DORA THE KID
後手:miyakohjihara

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上は2003年3月5日に行われたDORA THE KID七段の21戦目の対局より。

「24」で最強と言うとどうしても八段の強豪に目が行きますが、八段になっていない方でたった一人だけ最強を詠われた方が居ます。
そのHN名はDORA THE KID。初めてその名前を聞く方も多いのではないでしょうか。
それもそのはず。dcsyhi八段が現れて2ヶ月後の2003年2月26日にデビューしているのですが、対局の8割がそれから3日の間に行われたのですから。

詳しく書くと、通算成績24勝1敗(勝率.960) R2749点で25局の対局のうち20局が2月28日までに行われ、折しもデクシ最強伝説が定着しつつある頃に「待った」をかけた形で彗星の如く現れたのです。

対戦相手もcassis八段、4946toyo七段、miyakohjihara七段といった当時の有名な強豪が名を連ねており、最強を詠われるに申し分のない内容でした。(唯一の黒星の相手は、現在も活躍しているsankichi7八段)

総対局数29局が終わるまでに2800を超え、前人未到の「?」付きの「七段」(当時の最高段位)を達成するのではないかと皆の期待は高まりました。しかし2003年3月5日までに23局を終わらせた後、現在に至るまでは2局しか対局していません。

dcsyhiさんの別HNでないかという噂も流れましたが、真相は当然の如くわかりません。一説ではdcsyhiさんの棋風がオールラウンドであったのに対し、DORA THE KIDさんは居飛車一辺倒だったので違う人物だと言われています。

上の棋譜は2003年3月5日に行われたDORA THE KIDさんの21戦目の対局です。

※当時の将棋倶楽部24の段位は2800点以上からが七段で、八段位はありませんでした。

第四話 正統派居飛車党 (aoba81)

将棋倶楽部24最高R物語
対局日:2006年2月5日
棋戦:レーティング対局室(早指し)
先手:aoba81
後手:HAHAHAHAHA

将棋盤

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将棋倶楽部24の「最強」は居飛車党が多いのですが、その中でもコテコテの居飛車党がaoba81八段です。振り飛車で対局しているところを見たことがありません。

「最強」「居飛車党」ということで、必然的にA級の○○だという噂になったのですが、当時竜王が「24」で3000点台だと公言していましたので最高R保持者が竜王の実力に匹敵するような人だと推測されるのは事実はどうであれ致し方のないところ。

現在、高段者タブの中で最高R保持者は段位のところに「最強」と表示されていますが、これが初めて適用されたのがaoba81八段です。
aoba81八段はデクシ時代の末期にデビューしており、当時からすでに高段者の中でも強い人として認知されていました。現在の勝率が.744であることを考えても当然のことと言えます。

最高Rを賭けた対局の相手はHAHAHAHAHA八段でした。初代七段のHAHAHAHAHA八段は「最強」になるための登竜門のような御方で、HAHAHAHAHA八段より強ければ「最強」候補として皆の信頼を得る様な風潮が「24」にはありました。そしてなぜか謀ったように最高Rを賭けた大一番には(この対局のみならず)タイミングよくHAHAHAHAHAさんが現れます。 

さて上の棋譜が2006年2月5日に最高Rが更新された時のものです。
対局前の点数は、aoba81八段が3027点で、HAHAHAHAHA八段が2886点でした。
それまでの最高RはJyuhappo八段の3035点でしたが、この対局で勝利したaoba81八段が3037点となり最高R保持者となりました。その後3064点まで24最高Rを伸ばしました。

第三話 アナーキーな最強棋士 (Jyuhappo)

将棋倶楽部24最高R物語
対局日:2005年8月29日
棋戦:レーティング対局室(早指し)
先手:Jyuhappo
後手:NARAKU

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上は2005年8月29日に行われた将棋倶楽部24での歴史的瞬間の棋譜。

Jyuhappo八段は今までの強豪達と比べて非常に個性的です。

将棋自体は居飛車、振り飛車問わずなんでも指すカッコいい将棋ですが、この方、HN取得時は級位者登録でした・・。

dcsyhi八段が活躍している頃は2700台でしたが、その後徐々に点数を伸ばしました。

そして来る2005年8月29日に、3007点だったJyuhappo八段は上記の棋譜を残し3012点となり最高R保持者となりました。

dcsyhi八段やAug 02八段と違い、Jyuhappo八段はそこからさらに高い点数を追い求めました。
そして3035点まで記録を伸ばし、将棋ファンを喜ばせていたのですが・・・。

3035点を引っさげて更なる記録をかけた対局に負け、そこからものすごい勢いで点数が大暴落。2500台まで下げました。

その理解不能な行動は、ユーザーが変わったと評されたものです。

Jyuhappo八段は現在でもたまに対局していますが、再び最高Rを超えるとか、そういう類の目立ち方はしていません。謎が多い方です。

上の棋譜はゴキゲン中飛車の超急戦ですが、確かにあの頃21手目の▲7五角や26手目の△5四歩が流行っていました。時代がよく反映されている棋譜です。

このJyuhappo八段も歴代最高R保持者の類に洩れず羽生名人のHNだとする噂が流れましたが、上記の奇行ぶりから私の見解としては羽生名人でないと断言します。

番外編① 御機嫌なユーザー

将棋倶楽部24最高R物語
対局日:2002年7月25日
棋戦:レーティング対局室(早指し)
先手:HAHAHAHAHA
後手:konchi3

将棋盤

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将棋倶楽部24には最高R保持者以外にも将棋ファンを魅了するヒーローがたくさん存在します。

将棋倶楽部24の2002年はHAHAHAHAHA八段が史上初の2800超え(七段)を達成しその全盛時代でしたが、同等の棋力を持つユーザーは数名存在しました。

そのうちの一人がkonchi3八段です。級位からであれ高段からであろうと、誰の挑戦でも構わず受けて連勝の山を築いて消えていく、そんな勇ましい姿が今となっては懐かしい思い出です。なんといってもトレードマークはゴキゲン中飛車でした。

将棋倶楽部24で「最もゴキゲン中飛車がうまく」「HNがkonchi3」で「地域がNi-gata」なのだから、元祖であることを疑うなと言う方が無理な話ですが真相は当然わかりません。
元祖は後に行われた近代将棋道場の近将カップの折、ネット将棋はやったことがないと言ってました。

みんな最強クラス同士の対局を観たいのでkonchi3さんが対局室に入ると期待して待っていたのですが、対局が始まり観戦に行くと級位者と遊んでいるというのがよくある光景でした。

上の棋譜は当時5本指に入ると言われた実力者同士が激突した、将に頂上決戦の貴重な棋譜です。
対局日は2002年7月25日ですが、この対局をリアルタイムで見ていた私は夢の競演の実現にとても感動しました。

16手目△3三同桂となる形で角交換を誘ったり、26手目の△2五桂ポンなど美しいゴキゲン中飛車です。

第二話 そして、人間は追いついた (Aug 02)

将棋倶楽部24最高R物語
対局日:2005年6月29日
棋戦:レーティング対局室(早指し)
先手:Aug 02
後手:I-houshin
将棋盤

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デクシ伝説より1年が経過したある日、人は神が築いた点数まで昇ってきました。

Aug 02八段は居飛車党で強豪の一人でしたが、決して飛び抜けた存在というわけでありませんでした。

2005年月度十傑

通算勝率.664は普通の強豪であり、当時の月度十傑を見ても他の強豪と比べて飛び抜けた点数でないことがわかります。(画像は将棋倶楽部24の月度十傑2005年6月より)

普通の強豪でしたがある日突然最高Rの期待がかかりだした、そんな感じだったと記憶しています。

高段の点数のインフレが言われる時、それは正しい。ソフト指しが蔓延ったことが原因のひとつとして考えらます。

2600~2700点のソフト指しが増えたことにより、将棋ソフトより強いトップクラスのユーザーはR点数獲得のチャンスが増大し、2800点以上の人の増加が加速したというのは有力な説です。(この記録の約半年後に会員登録抹消になったソフト指しの月度十傑ランクインが確認されている。)

上の棋譜は2005年6月29日に行われたAug 02八段のレーティング戦最後の対局より。

この時Aug 02八段は2998点で、対局相手のI-houshin八段は2887点。

I-houshin八段はこの時期を代表する超強豪で、右玉が有名な特徴ある方でした。

その対局に勝ったAug 02八段の点数は3010点となり、約1年ぶりに将棋倶楽部24の最高Rを更新しました。

第一話 神になったユーザー (dcsyhi)

将棋倶楽部24最高R物語
対局日:2004年6月5日
棋戦:レーティング対局室(早指し)
先手:HAHAHAHAHA
後手:dcsyhi
将棋盤

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上の棋譜は、将棋倶楽部24で史上最強の誉れが高いdcsyhi八段の最後の対局より。

2002年末、将棋倶楽部24に彗星の如く現れ、前人未到だった2900点をあっさりと超え、3000点という奇跡の強さを目指したユーザーが居ました。

現在、将棋倶楽部24のトップページに最高R保持者としてネームエントリーされている、Aug 02さん、Jyuhappoさん、sakitamaさんも当時は最高で2800点にとどくかとどかないくらいの点数でした。

当時、2800点を超えているユーザーは、簡単に数えられる程度しか居ませんでした。

そのため、dcsyhiさんの対局はトップクラスのユーザーに勝利しても5点前後の点数しか増えず、負けると25点前後を持って行かれるという過酷な状況でした。

相手はアマトップクラスか、それ以上の実力を持つ人たちばかり。

しかし、dcsyhiさんは最高Rを更新し続けました。

dcsyhiさんが将棋倶楽部24に現れると、皆がいつ対局が始まるのかと更新ボタンを連打しまくるので、東京道場全体が重たくなるのは常でした。確かその対策で高段者タブが新たに増設されました。

対局が始まるとあっという間に観戦者は800人の定員に達し、東京道場のあるサーバーに負荷がかかり過ぎて対局画面の指し手にdelayが連発するあの状況は、今となっては懐かしい出来事。

ネット将棋史上、最高の人気ユーザーで、最強の実力者でした。

そして、dcsyhiさんは2004年6月5日に3000点の大台を賭けて対局に挑みました。

800人の観戦者は歴史的瞬間の証人になるべく、その対局を固唾を呑んで見守りました。

dcsyhiさんはその対局に勝ち、我々がずっと期待していた将棋倶楽部24で初の3000点超えを実現しました。(3003点)

その対局を最後に、dcsyhiさんが対局することはありませんでした。

当時のフィーバーぶりを知るほとんどの人は、今でもdcsyhiさんが最強だと信じているはずです。

通算成績168勝39敗1分 勝率0.812 

あの強さはもはや伝説となり、神になってしまったのもしれません。


※上の棋譜の対局相手のHAHAHAHAHAさんは、将棋倶楽部24で初めて2800点超えの偉業(2002年5月)を達成したユーザー。当時は七段という段位がなく、HAHAHAHAHAさんが2800点間近になった時、初めて七段が設定されたそうです。

※上の記事は2018年7月2日に加筆修正を行いました。
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