電王戦の後、将棋のおもしろさは変わったのか?

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将棋盤と駒

プロ棋士が将棋ソフトに負けて、将棋のおもしろさやプロ棋戦のおもしろさが減ったのかというと、何も変わらなかったです。素直にそう思います。

チェスの元世界チャンピオン・カスパロフがニコ生に出演した折、人間がコンピュータに負けてもチェス界は何も変わらなかった旨を話しました。

私も以前は将棋がコンピュータに攻略されていない奥の深いゲームだと、誇りに思うようなものが少なかれ有ったのかもしれません。

それで、局面数の多さが奥の深さだとする考え方が一般的であったため、何の疑いもなく、奥の深さは囲碁>将棋>チェスの順だと思っていました。

そのため、コンピュータの攻略はチェス、将棋、囲碁の順で進んでいくと考えられ、実際にその通りでした。

しかし、それが現実となった今、仮に奥の深さは囲碁>将棋>チェスだったとしても、人間がたどりつける限界はどのゲームでも同じで、人間に勝つコンピュータを作るという意味においては、その難度は大して変わらなかったのではないのだろうかと、思うことがあります。

人間にとっては無量大数の世界で遊ぶのも、無限の世界で遊ぶのも、攻略不可能という意味では違いがありません。人間に勝つコンピュータを作るためには、そこに完全攻略など必要なく、人間よりも深く正確に読むことができれば良かったのではないかと思うのです。

実際、将棋ソフトは今でも完璧に程遠い存在です。その証拠に10年前と同じように毎年100点も200点も強くなり続けています。

話の真偽はプログラムの専門家に任せるしかありませんが、私が強調したいのは、チェスの最強者が最初にコンピュータに負けたのは、チェスの奥の深さに起因するのではなく、チェスが最も進んだゲームだったからだと考えるようになりました。

チェスは欧米で最も人気のある知的ゲームであったため、巨大資本が乗り出し、そこに天才的なプログラマーが集まるという、アメリカならではの技術革新が起こる結果となり、早々に人間に勝つコンピュータが出来上がったと考えるわけです。


※※※


人口知能

私が読んだ文献には、コンピュータに負けた時、カスパロフは激昂したと書かれてありました。

それだけを聞かされると、カスパロフが人前でも怒り出す困った人のような印象を受けるのですが、他の文献でその理由がわかりました。

カスパロフは負けた直後に「カーテンの向こうで何をやっているのか、わからない」と言いながら怒ったそうです。

「カーテンの向こう」というのは、当時のコンピュータチームの指し手は、全てをコンピュータが指しているわけではなく、おかしな指し手はコンピュータチームの人が修正していたらしく、そのコンピュータチームはカーテンの向こうに居たそうです。

そして、その修正する人はチェスの結構な強豪だったみたいなことも書かれていました。

つまり、どの手を修正しているのかわからないカスパロフとしては、将棋で例えると部分指し(将棋における部分的なソフト指し)と指している感覚だったのではないのだろうかと推察します。部分指しに負かされたならば、誰だっていい気分はしません。

そういう小話ひとつを聞かされても、チェスは将棋の先を行っていたのだとつくづくそう思います。

また、カスパロフはコンピュータ・ディープブルーとの試合で、対人ではあり得ないコンピュータ対策の布陣で戦ったという話も読みました。

そして試合後に慣れない形でやるから力を出し切れなかったのだと批評した人も居たらしいのですが、これも第1回電王戦・米長永世棋聖vsボンクラーズを彷彿させます。

その批評を間違っているとは思いませんが、正しいとも思いません。わかっていることは、ゲームは違っても、その道を極めた人が選択した方法は同じだったということです。


※※※

電子基盤

将棋のプロがコンピュータに負けた時、今まで経験したことのない衝撃が走ったことは否定しません。

だからと言って、将棋のおもしろさやプロ棋戦のおもしろさが減ったのかというと、何も変わりませんでした。

パックマンのように、誰もが手軽にできる完全攻略法が解明されたというのならば、それこそその時点で将棋は終わってしまいますが、それはさすがに有り得ません。100年後、コンピュータが完全攻略を実現したとしても、それを人間が真似することはできません。

プロがコンピュータに負けたことによって変わったことと言えば、ソフト指しが増えたことや、解説者がソフトの評価値を気にするようになった、そのくらいでしょうか。

これまで、初心者がこれから熱中しようと思うゲームを選ぶ際に、コンピュータによる攻略度も選択の要因にしていた人は居たかもしれません。

しかし、囲碁ファンには申し訳ないですが、囲碁のトップ棋士がコンピュータに負けたことによって、その基準ではチェス、将棋、囲碁が再び横一線に並びました。

コンピュータの方が人間のトップよりも強い、「だから、何?」というのが新しい常識なのです。

プロ棋戦に関しても、それをおもしろく見せることが出来るのはプロの解説であることには何の変わりもなく、機械の測定値(=評価値)が機械にとって真実であっても、人間にとってはそれが正しいとは限らず、我々が人間である以上、人間の対局や人間の解説が最もおもしろいことに変わりはありません。

もちろん評価値の登場で、どんな人でも簡単に形勢判断がわかるようになり、それはそれでプロ将棋の観戦をさらにおもしろいものに変えました。

天動説が地動説に変わっても、ほとんどの人にとって何も変わらなかったことと同じように、「人間>コンピュータ」という常識が「コンピュータ>人間」という常識に変わっても、ほとんどの将棋ファンにとっては何も変わらなかったように思います。

私はそのように考えています。みなさんはどのように考えていますか?
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コメント
  • Re: No title
    2016/07/15 16:25
    常識が覆っていく過程での葛藤。将棋ファンは一足先に人工知能の発達に伴う混乱を経験したのかもしれませんね。
  • No title
    2016/07/14 19:29
    仰る通りですね。将棋に限らず人工知能がいくら進化しようともゲームの面白さは不変です。それはゲームに限らず或いはスポーツや創作活動も同じでしょう。
    例えば人工知能が更に進化して作曲や作詞、小説といった様々な分野で人類を越えたとしてもそれらの創作活動の楽しさは失われません。
     現に私達はプロ棋士に比べれば圧倒的に弱いですしどんな事をしようにも上には上がいます。その頂点が人工知能に置き換わった。ただそれだけのことです。

    話は少し逸れますが人工知能の発達により最終的には全ての仕事を機械が行う事になるといわれています。仕事がなくなった人類はそのとき健全な人生を送れるのかと良くいわれるのですが、私は健全どころではなく現在の社会より遥かに充実した人生を送れると思っています。

    人間の生きる目的、生き甲斐というのは何も「仕事」だけではないですよね。誰かに喜んで貰うとか、何か物事を追及したいといった好奇心は失われることはなく寧ろ自由な時間が増え、様々な分野で新たなものが創造されていく思います。
    もし将棋が完全に解明されたのなら新たにルールを儲けたり、駒を増やしたり可能性は無限大です。

    ただ人工知能が発達し人類を追い越していく段階で大小問わず様々なショック、社会的な変革が起こり世界は混乱するのだろうと思います。それは将棋界に於ける人工知能の台頭によって揺らいだ既存の価値観、あぁこれも人工知能が人類を混乱させる一部分なんだと、そう感じました。

    ですからこれからの世界は楽しみでもあり不安でもありますね(笑)
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